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八甲田山雪中行軍遭難が機となって、スキーが日本に上陸した。

現在、八甲田山中には、ご覧の記念碑や記念像などがある。この事件が無ければ、わが国のスキーは大きく変わっていたに違いない。
 さる1月23日、199人が犠牲となった1902(明治35)年1月の青森歩兵第五連隊八甲田山雪中行軍遭難の100周年法要と慰霊祭が、青森市の旧陸軍墓地幸畑墓苑で行われた。当時、日露戦争に向けた寒冷地戦の想定訓練などの目的で行軍を行ったが、猛烈な寒波に見舞われた。この事件は世界の山岳史でも他に例を見ないものである。

 小説や映画でも有名となった、この雪中行軍遭難は1902年1月23日から27日にかけ、八甲田連峰で起きた事件であった。ちなみに、100年という節目の年を迎え、慰霊祭を今回で打ち切る方針とのこと。青森市は墓苑内の八甲田山雪中行軍遭難資料館を建て替え、史跡公園の整備を検討している。

 当時、日本国内にはロシアとの戦争は避けられないという見解が強く、陸軍は対ロシア戦を想定した訓練を行っていた。しかしながら、寒冷地における装備と寒冷地作戦の準備教育が不足していたのである。遭難の主な原因としては防寒・防雪の装備が不完全だったこと、進退の判断に関して指揮が混乱したこともあった。

 しかし、その後、日本はロシアとの戦争に勝利を収めたのはご存知の通り。遠く、ヨーロッパでも話題となり、各国から日本を視察のため軍人が訪れた。明治44(1911)年、その中に当時のオーストリア・ハンガリー帝国陸軍のテオドール・フォン・レルヒ少佐(1989〜1945)がいたのである。

 現在のドイツ、オーストリアでも山岳部隊は特殊部隊として精鋭が揃うことで知られるが、当時のオーストリア・ハンガリー陸軍の先鋭ぶりは知られ、レルヒ少佐が近代アルペンスキーの祖であるマチアス・ツダルスキーの直弟子でスキーの名手であった。実際、レルヒ少佐以前にもスキー経験者の来日はあったものの、指導者としての経験と力量という点で注目されなかったのである。

 もっとも、スキー教練を行うにあたって、当時の日本にはレルヒ少佐の持参した墺国(オーストリア)式スキーしかなかった。1902年にノルウェー国王より、八甲田山での事件の見舞いとして贈られた2台のスキーは諾国(ノルウェー)式であり参考にはならなかった。そこで、スキー教練を依頼した陸軍弟13師団長である長岡外史将軍(1856-1933)は家具職人たちを陸軍工房に呼び寄せてスキーの製作を依頼する。やがて、家具職人たちはスキーメーカーを起こすことになる。

 そうした意味で、長岡将軍はスキーを軍占有のものだけでなく、日本のスキー産業の礎を作った人物としても評価できる。また、当時は一般的ではなかった肉食を促進すべく、かつ冬期に適した料理である『スキー汁=トン汁』を考案、採用している。

 日本発のスキー教練は行われたのは新潟県高田、歩兵第58連隊の営庭(現在の上越市立城西中学校校庭)である。レルヒ少佐、最初の号令は『メ・テ・レ・スキー!』……フランス語による”スキーを付けよ”であった。これは、通訳を担当した山口大尉がフランス留学経験者だったため、彼が堪能とするフランス語で教練を行うというレルヒ少佐の気遣いだった。実際、レルヒ少佐は母国・ドイツ語の他に英語、フランス語など喋る事ができた。

 もっとも実際は、命令後、スキーのつけ方を教わってなかった将校たちにレルヒ少佐と山口大尉が教えてまわった……というエピソードがある。もっとも軍内の精鋭を集めたとあって、彼らの上達振りも早くスキースポーツの魅力に惹かれていったという。

 さらに、長岡将軍は学校教師など、民間からの教練参加者も募った。場所も現在の金谷山スキー場へ移した。同時に、女学生に向けてのスキー教練を行うなど、新聞といった報道期間への話題提供にも積極的だった。そのため、全国からスキー教練を見学する人々も多く集まり成功を収めた。レルヒ少佐のスキー教練は2シーズンにも及んだ。晩年、レルヒ中佐(後に昇進)は”高田は私にとって、第2の故郷……”と語っている。

 その後、レルヒ直伝の将校たちは率先して多方面の人たちにスキー術を伝授し、その孫弟子たちが積雪地に講師として派遣されるという具合に、レルヒのスキー術は全国に広がっていった……。当時の様相は、今も『レルヒ祭』に伝えられている。

「スキーが伝えられる前の雪国の生活といえば、カンジキやコスキの他には何の手立てもない数ケ月間の冬ごもりでした。スキーは冬の交通を便利にし、体力や気力の向上に役だっただけでなく、それまでの雪国の生活を一変させた、いわば文明の利器であったといえるでしょう……。」

 後に明治天皇へ報告した長岡将軍は、上記の内容を報告したとのこと。すでに、明治天皇自身も侍従武官を高田に派遣して報告させ、スキーに興味を持っていたとのこと。これが、現在の皇族とスキーの結び付きの始まりでもある。しかし、そうしたスキーの普及も、件の八甲田山雪中行軍遭難事件がなければ、もっと遅れていたかもしれない。

●八甲田山に関する問い合わせ 青森市ホームページ 
●金谷山スキー場、レルヒ祭りに関する問い合わせ 上越市ホームページ


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