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| フリースタイルスキーの歴史は20年どころではなかった。 |
冬季オリンピック2002・ソルトレイク大会は、里谷多恵のモーグル銀メダルで幕を開けた。冬季オリンピックにおける正式種目は1988年のカナダカルガリー大会からで、多くの人は新しいスキー競技という認識にあるだろう。しかし、新世代のスキースポーツと呼ばれるモーグルの歴史は以外と古い。
件の里谷多恵のメダル授与式で、プレゼンターとして登場したスタイン・エリクセン(ノルウェー)こそモーグル、強いてはフリースタイルスキーの元祖なのである。彼は1960年冬季オリンピック・スコーバレー大会の滑降におけるメダリストであるが、メダル獲得後はスキースポーツの普及のため、活動拠点を北米に置き現在に至っている。その彼が『スキーではこんな事もできる……』と空中回転を見せたのである。事の真偽は定かではないが、滑走中に圧者雪車と激突しそうになり、雪庇に飛び込みジャンプした……というのが始まりと伝えられている。
やがて、60年代に入り戦後ベビーブーム世代の若者が自由にスポーツを楽しむ気運が高まっていった。丁度、サーフィンブームとあいまって、雪上でもサーフィン同様に自由演技『ホットドッグ』競技をやろうというムーブメントが起こる。古いスキーヤーの中には”ホットドッグスキー”と呼ぶ由来はそこにある。
しかし、当時はゲレンデ整備や用具の安全性を含めて未完成な部分は多々あった。例えば、現在のモーグルバーンは機械で均一なコブを作り、フォールラインに沿ったコースを作ることができる。しかし、当時は出場選手が競技コースをランダムに滑って出来たコブの具合でコースを決めていた。それこそ、ドッグレッグしたコース、不ぞろいなコブというのが当たり前であったのである。そうしたコースは極めてリスクが高く、保険が下りないという理由でボイコットされたり、スポンサーが下りたりする大会が続出する結果となったのである。
ところが、1970年代初頭にスーパースターが登場し、フリースタイルスキーに新たなるスキーの可能性を決定つける。中国系カナダ人、ウェイン・ウォンの登場である。スキー教師であり、体操競技の経験のあった彼はジャンプやコブ斜面を華麗に滑るだけでなく、バレエ(現在はアクロと呼ばれるスキー競技となっている)を確立させたのである。ウェインは当時、北米におけるペプシコーラのイメージキャラクター契約をした……という事実から、いかに人気があったかが判るだろう。
その後、ウェインは何度も来日し、当時の若手プロスキーヤーを中心に講習会を開き日本にフリースタイルスキーの礎を作った。現在、全日本スキー連盟のフリースタイルスキー関係者にはウェインに教えを乞うた人も多い。当時、全日本スキー連盟にフリースタイル部会は無く、プロ・アマ混在ながら独自の組織で競技会を開催していた。それは、世界各国も同様の現象が起きていた。
オリンピック競技の正式競技化となる条件は、統一された競技ルールの確立・定期的な世界選手権の開催実績・一定の競技人口がいることである。70年代後半には、そうした条件が備わり。1980年にとうとう、初の国際スキー連盟(F.I.S)公認の世界選手権がティーニュで開催された。もちろん、それ以前にもフリースタイルスキーの世界選手権は開催されていたが、F.I.S.未公認のスキーイベントとされていたのだ。
ちなみに、F.I.S.公認以前の世界チャンピオン、ジョン・イーブス(カナダ)はスキー映画の巨匠ウィリー・ボグナーに見出され、一連の007シリーズにおけるスキースタントや『ファイヤー&アイス』シリーズの主演で活躍した。また、マイク・マービン監督による『HOT DOG』も公開(日本では1984年劇場公開。北米での劇場公開時には初の全日本フリースタイルスキーチームも観たという逸話もある)され、一気にオリンピック競技種目化に拍車がかかったとうしだいである。
1988年冬季オリンピック・カルガリー大会ではモーグル、エアリアル、アクロが新競技として登場した。アクロは公開競技であったが、今や映像的にも一番にアピール度が高いことは否定できない。60年代のヒッピースポーツはジェネレーションXによって、押しも押されぬメジャースポーツとなったという次第である。
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